美日联合声明内容(美日联合声明内容台湾)

 2023-09-18  阅读 9  评论 0

摘要:本篇文章给大家谈谈美日联合声明内容,以及美日联合声明内容台湾对应的知识点,希望对各位有所帮助,不要忘了收藏本站喔。美日澳三国外长联合声明中给一中政策加括号标注,外交部是如何回应的?2022年8月5日,美国国务卿,澳大利亚外长以及日本外相举行了三边战略对话,在此之后,三方发布了一个声明表示三个国家都支持一个中国政策,对于台湾的基本立场并没有发生改变,但是三个国家都在一个国家政策后面加了括号,并且标注

本篇文章给大家谈谈美日联合声明内容,以及美日联合声明内容台湾对应的知识点,希望对各位有所帮助,不要忘了收藏本站喔。

美日澳三国外长联合声明中给一中政策加括号标注,外交部是如何回应的?

2022年8月5日,美国国务卿,澳大利亚外长以及日本外相举行了三边战略对话,在此之后,三方发布了一个声明表示三个国家都支持一个中国政策,对于台湾的基本立场并没有发生改变,但是三个国家都在一个国家政策后面加了括号,并且标注了在适用的情况下。三个国家发布的声明明显是不具备诚意的,七国集团外长以及欧盟的最高代表也发布了相关声明,与三个国家所作出的表述是一样的。

2022年8月8日,汪文斌举行了记者会,记者对此作出了提问。汪文斌对此表示,国际社会的普遍共识便是一个中国原则,这是国际关系的基本准则,也是二战之后构成的基本国际秩序,同时有相关的文件确认,这也是中国与其他国家建立外交关系的一个政治基础。联合国秘书处发布的相关意见也表示台湾只是中国的一个省份,并没有独立地位,一些国家在一个中国原则后面加入一些后缀,目的是为了试图歪曲一个中国原则,这是无效的,同样也是非法的,中方对此表示坚定的反对。

汪文斌作出了坚定的反击,并且表示全世界只有一个中国,台湾作为中国的一部分是不可割舍的,中华人民共和国 *** 也只承认中国这一个合法 *** 。某些国家的做法是非常不值得认可的,是对一个中国原则的歪曲解读,本质上是在挑战中国的基本原则以及国际法的基本原则,同时也是在挑战二战之后的国际秩序。

汪文斌表示个别国家有必要去读一些史书,当年作出的承诺就要一直遵守下去,并不能够背信弃义。一些 *** 势力明目张胆的做法是极具危害性的,会遭到国际社会的坚决反对,一些不合法的要求并不会得逞。

2014年美日联合声明全文

日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国

平成26年4月25日

日本と米国との间の関系は,相互の信頼,ルールに基づく国际的な秩序への共通のビジョン,民主的な価値の支持及び开かれた市场の促进に対する共有されたコミットメント,并びに深い文化的及び人的な绊の上に筑かれている。日米同盟は,地域の平和と安全の础であり,グローバルな协力の基盤である。国际协调主义に基づく「积极的平和主义」という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは,共に,平和で繁栄したアジア太平洋を确かなものにしていくために同盟が主导的な役割を果たすことに寄与する。

紧密な日米协力は,アジア及び世界における,长年にわたる又は顕在化しつつある胁威や课题を管理し,またこれに対処するに当たって不可欠なものである。最近の动きは,地域及びグローバルなルールと规范を支えるための调整された行动の重要性を强调している。3月25日のハーグにおける三か国首脳会谈において,日本,米国及び韩国の首脳は,北朝鲜に対し,核ミサイル问题に関する国际的な义务を果たすための,及び拉致问题を含む人道上の悬念に遅滞なく対応するための具体的な行动をとるよう求めた。日米両国は,G7のパートナーと协调し,クリミアを并合しようとするロシアの违法な试みについて同国を非难し,また,その遗憾な行为について同国に対する更なる措置を紧密に协议しているとともに,同国に対し,ウクライナにおける紧张を缓和するよう强く求めている。日米両国は,共に,ウクライナの主権,领土の一体性及び経済的な安定を支援するための具体的な措置を讲じている。日米両国は,イランの核问题を解决し,中东和平の取组を支持し,アフガニスタンの复兴に寄与し,化学兵器廃弃を含めてシリアの情势を改善するため,连携して取り组んでいる。日米両国は,これら全ての课题に対処するに当たって,中国は重要な役割を果たし得ることを认识し,中国との间で生产的かつ建设的な関系を筑くことへの両国の関心を再确认する。

日米両国は,开かれた海を依り所とするグローバルな贸易网を有する海洋国家として,航行及び上空飞行の自由を含む国际法の尊重に基づく海洋秩序を维持することの重要性を强调する。日米両国は,事前に调整することなく东シナ海における防空识别区の设定を表明するといった,东シナ海及び南シナ海において紧张を高めている最近の行动に対する强い悬念を共有する。日米両国は,威吓,强制又は力による领土又は海洋に関する権利を主张しようとするいかなる试みにも反対する。日米両国は,これらの紧张に対処するため,この地域における各国の *** 及び军の间における信頼醸成措置の确立を强く促す。日米両国は,南シナ海について,関系国が自らの海洋における権利の主张の根拠を国际法に合致する形で明らかにするよう求める。また,不测の事态のリスクを削减する方法として実効的な行动规范(COC)の早期策定に向けた取组を支持する。日米両国は,南シナ海における海洋の纷争を解决するために国际的な仲裁を含む外交的及び法的な手段を用いることを完全に支持する。

日米両国は,両国が直面する共通の安全保障上の课题を踏まえ,日米防卫协力のための指针の见直しによることを含め,日米安全保障协议委员会の指示に従い,日米の安全保障同盟を强化し,现代化している。米国は,最新锐の军事アセットを日本に配备してきており,日米安全保障条约の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している。これらのコミットメントは,尖阁诸岛を含め,日本の施政の下にある全ての领域に及ぶ。この文脉において,米国は,尖阁诸岛に対する日本の施政を损おうとするいかなる一方的な行动にも反対する。米国は,日米両国间の政策及びインテリジェンスに系る调整の强化を促进することとなる日本による国家安全保障会议の设置及び情报保全のための法的枠组みの策定を评価する。米国は,集団的自卫権の行使に関する事项について日本が検讨を行っていることを歓迎し,支持する。日米両国は,地域の安全を维持するための米国の拡大抑止の重要性を再确认した。日米両国はまた,グアムの戦略的な拠点としての発展を含む,地理的に分散し,运用面で抗堪性があり,政治的に持続可能な米军の态势をアジア太平洋地域において実现することに向け,継続的な前进を达成している。普天间飞行场のキャンプシュワブへの早期移设及び冲縄の基地の统合は,长期的に持続可能な米军のプレゼンスを确かなものとする。この文脉で,日米両国は,冲縄への米军の影响を軽减することに対するコミットメントを再确认する。

日米両国はまた,贸易自由化を前进させ,経済成长を促进するため,多国间の金融及び経済フォーラムにおいて紧密に连携する。両国の共同の取组は,自由で,开かれ,透明であり,技术革新を推进する国际的な経済システムを支持することに基づいている。経済成长を更に増进し,域内の贸易及び投资を拡大し,并びにルールに基づいた贸易システムを强化するため,日米両国は,高い水准で,野心的で,包括的な环太平洋パートナーシップ(TPP)协定を达成するために必要な大胆な措置をとることにコミットしている。本日,両国は,TPPに関する二国间の重要な课题について前进する道筋を特定した。これは,TPP交渉におけるキーマイルストンを画し,より幅広い交渉への新たなモメンタムをもたらたすことになる。両国は全てのTPP交渉参加国に対し,协定を妥结するために必要な措置をとるために可能な限り早期に行动するよう呼びかける。このような前进はあるものの,TPPの妥结にはまだなされるべき作业が残されている。日米両国はまた,日本の経済协力开発机构(OECD)加盟50周年の机会に,日本がOECD阁僚理事会议长国を务めることを支持するとともに,本年,中国がアジア太平洋経済协力(APEC)会合を主催すること及び豪州がG20を主催することを支持する。日米両国は,APEC及びG20において,両国にとって国内政策及び外交政策上の重要な优先事项である女性の役割の促进に共に取り组んでいる。日米両国は,平等な未来パートナーシップやホワイトハウスが主催するワーキングファミリーサミット及び日本が主催する女性のエンパワーメントに関する国际シンポジウムといった近く行われるイベントを通じて,女性の完全な社会参加を确保することにコミットしている。さらに,日米両国は,両国の连携によりロボット工学,宇宙,医疗科学といった更先端の领域が拡大されている先端技术の分野における世界のリーダーであり続ける。

日米両国は,エネルギー安全保障が繁栄と安定にとって死活的に重要であることを认识する。双方は,追加的なグローバルな供给は日本や他の戦略的パートナーの利益となることから,米国からの液化天然ガス(LNG)の输出の将来的な见通しを歓迎した。米国は,包括的,平和的かつ安全な原子力の利用及び再生可能エネルギーの导入の加速を含む日本の新しいエネルギー基本计画を歓迎した。日米両国は,企业间の协力の促进や民生用原子力の协力の深化によるものを含め,クリーンエネルギーの开発を促进するために共に取り组んでいる。これらの取组は,グローバルな気候変动という喫紧の课题に対処するためのより幅広い取组の一环である。日米両国は,国连気候変动枠组条约第19回缔约国会议(COP19)で采択された决定に基づき,2015年12月にパリで开催されるCOP21において,気候変动枠组条约の下で全ての缔约国に适用される议定书,法的文书又は法的効力を有する合意成果の采択を促进するため,自主的に决定する2020年以降の力强い约束を提示する计画である。日米両国は,温室効果ガス排出削减を促すための补足的なイニシアティブに関し,引き続き他国と共に取り组んでいく。

日米両国は,アフリカを含む世界の平和,安定及び経済成长を推进することにコミットしている。最近立ち上げられた高级実务者レベルの日米开発対话を通じ,日米両国は,これらの地域における开発协力を拡大している。さらに,日米両国は,その他のグローバルな课题に対処し,共通のアジェンダを推进するため,二国间の政策调整を継続している。これらには,女性のエンパワーメント,人间の安全保障,人道支援,防灾,ポスト2015年开発アジェンダ,国际保健,気候変动,テロ及び国际组织犯罪対策,サイバー政策,核兵器のない世界という目标,核セキュリティ,平和维持分野を含む国连における协力が含まれる。米国は,日本を常任理事国に含む形で国连安全保障理事会が改革されることを期待している。日米両国は,东日本大震灾の経験に基づき,防灾分野における协力を継続している。

日米両国は,地域の安全と繁栄にとっての东南アジア诸国连合(ASEAN)の一体性及び中心性の重要性を认识し,外交上,経済上及び安全保障上のASEANとの协力を深化することに対するコミットメントを新たにする。日米両国は,ASEAN诸国が地域的な経済共同体を构筑し,サイバーセキュリティ及びサイバー犯罪を含む国境を越える课题に対処しようとしている中で,ASEAN及び関连するフォーラムを支援するために紧密に连携している。この文脉において,日米両国は,东アジア首脳会议(EAS)がこの地域における政治及び安全保障面の主要なフォーラムであると认识している。日米両国は,地域のインフラ及び连结性の需要に対処するためのアジア开発银行(ADB)による取组を支持する。日米両国は,东南アジアの沿岸国が法执行,不正な取引及び武器の拡散との闘い并びに海洋资源保护をよりよく実施できるよう,海洋の安全及び海洋安全保障のための海洋监视及びその他の能力の构筑においてこれら诸国を支援するために连携している。フィリピンにおける台风30号(ハイヤン)の际の日米両国の军民の力强い対応は,灾害救援及び防灾においてこの地域を共同で支援する両国の能力を示した。

アジア太平洋及び世界における平和と経済的な繁栄を推进するという共有された目标を达成するため,日米両国は,韩国,豪州,インドを含む志を同じくするパートナーとの三か国间协力を强化している。

日米両国は,紧密な协力と连携を通じてアジア太平洋地域及びこれを越えた地域の未来を形作る上で,両国间の长年にわたって存在しかけがえのないパートナーシップを再确认する。 但愿你能看懂

美国亚太再平衡战略对我国有什么影响

 亚太再平衡战略对中国的挑战

毋庸讳言,美国亚太战略的调整对中国形成了重大外部压力,具体体现在以下几个方面。

一是美国对华军事压力增大。2012年1月5日,奥巴马 *** 公布了名为《保持美国在全球的领先优势:21世纪国防的优先事项》的新版美国国防战略评估指南,其核心内容是“削减军费”“重点投入”“战略转型”与“保持优势”。这份新军事战略指南中曾3次提到中国,认为“从长远来看,中国在亚太的崛起给美国经济和安全等许多方面产生了潜在的影响”,并且指出中国的军事发展对美国安全构成了挑战。因而,新军事战略报告中明确将中国列为美国军事上的一个重要挑战者。美国在亚太地区的高强度军事布局显然反映出美国对中国军事防范力度的增强,这必然给中国造成较大军事压力以及增加了与美国发生军事冲突的风险系数。需要注意的是,美国正在寻求打造亚太地区联盟战略的升级版,即加强美澳日三边合作。2014年8月13日,美国国务卿克里在夏威夷东西方中心发表关于美国亚太政策的演讲中就表示,美国与澳大利亚“同意扩大我们同日本的三边合作,这将让我们能在应对更加广泛的一系列安全挑战的过程中进一步使美日同盟关系现代化”。

二是中国的周边环境更加复杂。近期,部分与中国存有领土、领海争议的邻国借美国实施“亚太再平衡”战略之机向中国发难,影响到中国周边的安全和秩序。其中,中日 *** 问题,中国与越南、菲律宾等国的南海问题升级,其背后都可见到美国的身影。2014年4月21日,奥巴马总统在访问日本之前接受《读卖新闻》专访时明确表示,他“赞赏安倍首相加强日本防卫力量和深化我们两国军事合作的努力,包括修改目前行使集体自卫权的禁令”。25日,白宫网站上发布的《美国和日本:塑造亚太及其他地区未来》的美日联合声明中,美国的这一立场再次得到了确认与强调。

三是中国在亚太地区的影响力受到挑战。近年来,中国通过参加亚太地区的各种机制建设,如东盟10+ 3、中日韩首脑峰会、中国—东盟自贸区、东亚峰会等合作机制,提升了中国在地区制度建设中的影响力。但是,美国实施“亚太再平衡”战略的目的之一便是恢复其在亚太地区的制度塑造力,从而对中国在该地区的影响力构成挑战。2009年7月,美国签署了《东南亚友好合作条约》,11月举行了首届美国—东盟峰会。2011年11月19日第六届东亚峰会召开,美国作为正式成员国首次参加这次会议。时任美国国务卿的希拉里表示,奥巴马总统“将成为出席东亚峰会的第一位美国总统”。奥巴马 *** 的第二任期同样关注在东南亚地区的外交介入,并重申对该地区机制的支持。2014年8月,美澳两国外长与防长在举行“2+2”会议期间共同撰文表示:“我们与东盟(ASEAN)密切努力,倡导新型合作、坦诚对话以及针对一系列挑战的务实协作,如海上安全和坚定国际准则的不 *** 努力,以及确保所有各方的公平竞争。东亚峰会作为这一地区的首要领导论坛,对确定这一地区的战略远景具有关键作用。”

与此同时,中国对于周边国家的影响力也受到了重大影响。实际上,中国已经感受到了这种压力。仅以中美缅关系为例。自2010年底缅甸政治转型之后,尤其是在吴登盛 *** 执政以后,中国在缅投资遭遇一系列挫折。中缅关系迎来了新的挑战,自此进入一个微妙的调整期。这与缅甸 *** 外交政策“向西看”有很大关联,也与以美国为首的西方国家加大对缅外交施压与利诱有关。近几年内,美缅关系迅速解冻、升温,并日益成为奥巴马 *** “亚太再平衡”战略的重要成就与支撑力量。2011年11月30日,希拉里访问缅甸,这是50多年来美国国务卿首次访问缅甸。2012年5月,美国决定向缅甸派驻大使,恢复与缅甸的大使级外交关系。2012年11月19日,奥巴马总统与希拉里国务卿一道访问缅甸。2013年5月中旬,缅甸总统吴登盛访问美国,成为自1966年以来首位访美的缅甸领导人。2014年8月9日,美国国务卿克里率团对缅甸展开正式访问,其间出席第21届东盟地区论坛外,还与缅甸总统吴登盛、反对派领袖 *** 等举行了会面。克里表示,缅甸在过去的这些年里“取得了显著的进步”,奥巴马 *** 将继续与缅甸 *** “携手鼓励政治和司法改革”。

四是中国将面临更为严峻的意识形态挑战。奥巴马 *** 在首份《国家安全战略》报告中,明确提出“价值观利益”是美国的一项持久利益,而其重点区域之一便是亚太地区。2014年7月10日,美国国务卿克里与财长雅各布·卢在参加第六轮中美战略与经济对话后的记者会上表示,中美两国之间在价值观与意识形态方面存在着分歧,“美国将继续捍卫我们的价值观念,倡导普世人权以及所有人都应享有的自由。这些权利和自由对稳定与繁荣极其重要”。可见,美国对华进行价值观渗透的可能性明显增加。

美国在日本放了2个原子弹日本人应该很仇视美国可是现在与美国同盟?

战后日美关系的演变

摘要:第二次世界大战后,日美两国结成特殊紧密的关系。随着国内外形势的变化以及日美两国力量的消长,日美关系多次调整,日美两国亦由敌对发展同盟。

日美关系是国际关系中最重要的双边关系之一。第二次世界大战结束后,通过战胜国对战败国的处理问题,日美结成了特殊的紧密关系。随着国内外形势的变化以及日美两国力量的消长,日美关系在内部多次调整,不但影响其各自国家的内外政策,同时也影响着亚太地区局势、世界范围内的国际关系以及中国对外战略的选择。尽管日美之间有合作也有竞争,但维持正常的双边关系一直是其对外政策的重要目标。日美两国一直在谋求亚太地区的主导权,因此研究日美关系的发展变化,对于探讨亚太地区国际关系、国际局势以及中国的对外政策具有重要意义。

一、占领与被占领的关系

第二次世界大战以法西斯集团战败而告终,日本成为战败国。美国以盟军的名义单独占领了日本全境。1945年8月12日,杜鲁门任命美国太平洋陆军司令麦克阿瑟为盟军最高司令官,君临日本。9月22日,美国 *** 发表《美国战后初期对日政策》。该文件写明:“占领军应由美国认命的最高统帅指挥”,“如果主要盟国之间发生意见分歧,美国政策应居主导地位”。“最高统帅将通过日本 *** 机构和制度(包括日本天皇在内)行使自己的权利”。[1]如是,美国便确立对占领的领导权和间接统治方式。

日本是美国争霸太平洋地区的宿敌,早在战争结束前美国既已决定借日本投降之机彻底削弱日本。《美国战后初期对日政策》明确“美国占领日本的最终目标是:(1)保证日本不再成为美国的威胁,不再成为世界安全与和平的威胁。(2)最终建立一个和平与负责任的 *** ,该 *** 尊重他国权利,并应支持联合国 *** 的理想与原则中所显示的美国的目标。”[2]为了达到上述目标,占领初期,占领军当局采取了一系列打击和削弱日本的措施,实行非军事化、民主化改革:(一)解散军事机构;逮捕并审判战犯;整肃军国主义分子和右翼团体;禁止军事科学研究和军需生产;实行严格的赔偿计划。(二)颁布五大改革指令:赋予妇女参 *** 和妇女解放;保障工人的团结权和团体交涉权;废止具有压制性质的各种制度;教育自由化;经济民主化。(三)进行两次农地改革,改革长期以来成为日本军国主义、侵略主意基础,阻碍民主化的半封建土地制度。(四)解散作为侵略战争推动力量的财阀。(五)修改日本宪法。新宪法废除了天皇亲政的原则,天皇只作为国家的象征,宣布主权在民,确立基本人权,按照西方国家的模式建立日本政党制度。新宪法第九条规定:“永远放弃作为国家主权发动的战争、武力威胁或使用武力作为解决国际争端的手段”。“为达到前项目的,不保持陆海空军及其他战争力量,”“不承认国家交战权”。[3]

上述改革是具有战略性的措施,意在摧毁日本军国主义根源,消除军国主义影响;对建立和平民主的新日本是十分有必要的。遗憾的是,实施两年,上述改革还远未完成,美国 *** 却嘎然刹车,对日政策从惩治改造转为复兴扶植。

二战后,国际形势风云突变。苏联势力剧增,冷战开始;中国革命的胜利使美国将中国作为其稳定亚洲的中心的企图成为泡影,打乱了美国的亚洲战略;朝鲜、越南 *** 相继建立,亚洲民族独立运动风起云涌。针对这种形式,1948年1月,美国陆军部长罗亚尔在旧金山发表演说,提出“新的对日占领政策”,即“培育一个强有力的日本 *** ”,“要使日本在今后对付可能在远东发生的新的集权主义的威胁方面,充分起到强有力的、稳定的防波堤作用”。[4]简言之,美国改变其初期占领政策,开始扶植日本在亚洲执行其遏制中国和苏联的冷战政策。

美国对日本占领政策的转变,在实践上,早在1947年就开始了。 美国终止了对日本的改革进程,如陆续释放战犯,停止拆除工厂,承用被整肃的前官员等等。与此同时,占领军当局缓和了对日本的种种限制,放宽了对日本战争赔偿的要求,帮助日本复兴经济。美国为日本制定并强制执行《稳定经济九原则》和道奇路线,此举缓和了战后日本经济的混乱局面。朝鲜战争爆发后,美国把日本变成后方军需工厂,为其侵略战争服务。日本从战争中收益大量外汇,对其经济恢复和发展起到巨大作用。

二、从敌对到伙伴

旧金山媾和是美日关系演变的里程碑。

随着冷战加剧和亚洲革命浪潮的澎湃发展,美国 *** 希望日本尽早摆脱《波茨坦宣言》以及其他国际协定的约束,结束“盟国”的占领,以“和平独立”的成员回归国际社会,为其所谓亚洲及太平洋地区的安全与稳定发挥更大的作用;同时亦将美国完全控制日本的局面合法化、长期化。为此,美国 *** 早在947年即提出对日媾和设想,但军政界意见分歧;其媾和程序又遭苏联反对,对日媾和问题便搁置下来。

日本方面则与美国不同。当时,日本首相吉田茂的最大心愿就是能够在任期内同以美国为首的盟国缔结媾和和约,实现日本独立。这是吉田茂魂牵梦绕的抱负。就当时的情况看,日方比美方更急切。吉田茂采取了主动。

1950年2月,吉田首相派亲信池田勇人为媾和一事秘密访美,探听到了美国对媾和的真实想法。5月,吉田首相在池田藏相再次访美时即带信给美国:“日本 *** 希望在尽早时机缔结对日和约。并且鉴于美国方面不便提出和约缔结之后美国军队仍有必要驻扎日本,以保障日本及亚洲地区的安全这一希望,日本 *** 愿意研究一项由日方提出建议的方法。”[5]由是,日美双方在媾和问题上基本达成一致。1950年6月朝鲜战争爆发,促使美国加快了媾和的步伐。

1951年9月8日,在旧金山召开了对日媾和会议。52个国家(中国排除在外)参加,49个国家(不包括苏联)在《旧金山和约》上签字。次年4月和约生效。

美国总统杜鲁门致开幕词说:“当我们今天坐在这个和会的席上,为了今后在我们之间消除胜者与败者的区别,共同成为寻求和平的伙伴时,让我们抛弃一切恶意和憎恨吧!在我们之间,既无胜者,也无败者,只有为和平而互相协力的同伴。” [6]日本首相吉田茂也在会上发表演讲,他说:“在这里提出的合约,并没有惩罚性和报复性的条款,对我国国民并没有加以永久性限制。他使日本恢复了完全的主权与自由,使日本成为了自由、平等的国际社会一员。这个和约不是复仇的条约,而是‘和解与信任’的文献。日本全权代表欣然接受这个公平而宽大的合约。” [7]

和约总纲宣告:“各盟国及日本决定,他们此后之关系将是由主权的平等国家之间的关系,在友好的结合下进行合作。”条约规定:“日本与每一个盟国间之战争状态依照本条约第二十三条之规定,自日本与该国间所缔结之本条约生效时起,即告终止”。各盟国所有占领军,必须在和约生效后的九十天内撤出日本。“但本款规定并不妨碍外国武装部队依照或有一个或二个以上的盟国与日本业已缔结或将缔结之双边或多边协定,而在日本领土上驻扎或驻留。”“各盟国方面承认日本以一个主权国家资格并得以自愿加入集体安全协定。”和约规定:日本的冲绳岛等岛屿由“联合国托管,而以美国为唯一托管当局”,“美国将有权对此等岛屿之领土及居民行使一切行政、立法及司法权力”。[8]《旧金山和约》结束了盟国对日本的全面军事占领,盟国占领机构取消。日本被缔约国承认为独立国家。同时,和约亦为美国继续驻扎日本留有空间,这与托管条款使得日本的独立实际上是不完整的。和约以法律的形式确立了日美两国的关系,但两国间的具体合作,尚需另立条约。

在《旧金山和约》签字的同一天,日本以独立国家的身份与美国签订《日美安全条约》。这个条约主要是确立和约生效后日本和美国的军事关系和美军在日本的特权。对于日本和美国,其意义较之《旧金山和约》更为重大。条约总纲写道:“和约生效后,日本将无有效工具来行使它自卫的自然权利,因为它的武装已被解除。”“在这种情况下日本会遇到危险,……因此,日本希望与美国签订一个安全条约。”“日本希望美利坚合众国在日本国内及周围驻扎其武装部队,以防止对日本的武装进攻,作为日本防御的临时办法。”条约规定:日本向美国提供陆海空军基地,美国则“为了和平与安全的利益,日前愿意在日本国内和周围驻扎相当数量的武装部队”,“维持远东的国际和平与安全和日本免受外来雾转进攻之安全,包括根据日本 *** 的明显要求,为镇压由于一个或几个外国之煽动和干涉而在日本引起的大规模暴动和骚乱速给予的援助”。[9]1952年2月8日,日美两国签订《行政协定》,规定实施《日美安全条约》的细则。根据这个协定,美军可以在日本的任何地方设立军事基地;美军及其家属犯罪不由日本判处;日本要分担美军驻留日本的部分费用。《日美安全条约》毫无双边性可言,是一个不平等条约。如此一来,日本实际上处于美国的半占领之下。

《旧金山和约》的签订标志着日本从一个被占领的战败国演变为一个独立的主权国家,开始以独立的身份参加国际社会。《旧金山和约》、《日美安全条约》和《行政协定》三者构成日美关系的体制,即旧金山体制或安保体制。这一体制的建立,标志日美两国之间从敌对关系演变为附属伙伴关系,即主子与小伙计的关系。日美关系从此进入一个新阶段。安保体制被视为日美关系的基本框架,双方共同维持。但这个框架不是固定不变的,它不是历史发展的终点,只是一个过程。国际关系没有终点,永远是过程。

三、从伙伴到同盟

安保体制的确立,成为日本振兴经济,重返国际舞台的起点。1945年,日本的经济恢复工作已经完成,开始进入经济高速增长期。此前,日本已于1952年4月加入了关税及贸易总协定,开始步入国际经济舞台。吉田茂因为坚持从属美国的外交路线而垮台后,继任者鸠山一郎顺应时势,顺应民心,上台伊始便提出自主外交,表示愿意同苏联和新中国建立正常的外交和政治关系。1955年10月,日苏两国在莫斯科签署《日、苏联合宣言》。结束了两国的战争状态,恢复了外交关系。同年12月日本加 *** 合国,以独立、平等的身份回归国际社会。

随着经济实力的增强和国际地位的提高,日本朝野对《日美安全条约》的不满情绪逐渐增长。从1953年起,日本各界不断爆发反对美军基地、争取民族独立、和平和民主的各种斗争,1959年达到 *** 。在群众运动的推动下,日本政界也要求改变安保体制下依附于美国的不平等地位,增加对美国的发言权,把单边性条约改为双边性条约,希望与美国对等。1955年8月鸠山内阁外相重光葵向美国国务卿杜勒斯提出修改《日美安全条约》,遭到美国拒绝。 *** 继任日本首相后,继续为修约而努力。日美经过一年零三个月的谈判,美国出于远东战略的需要,为了更好的利用日本,最终同意修约。1960年1月9日,日美两国在华盛顿签订《日美共同合作和安全条约》,代替旧的《日美安全条约》。修订后的条约具有如下新内容:(1)删除了驻日美军可以镇压日本内乱和不经美国同意日本不得将基地和基地有关权利等给予第三国的规定。(2)明确了美国对日本的防伪义务。(3)增加了日美两国“随时就本条约的执行问题进行协商”和加强“经济合作”的条款。规定条约有效期为10年。因此,新条约一方面扩大了日美两国的合作范围,加强了日美军事同盟,进一步明确了两国在政治、经济及安全保障方面的关系;一方面加强了日本的自主权《日美安全条约》,提高了日本与美国的对等性。日本 *** 在1960年度外交蓝皮书中宣称:“《日美安全条约》的修改说明日美关系已经进入 *** ,即进入了双方作为真正对等的国家、建立自由的合作关系的时代。”[10]次年,池田首相同美国总统肯尼迪发表联合公报,宣布成立“日美贸易经济联合委员会”、“日美文化教育委员会”、“日美科学委员会”,以加强两国在科学、文化、教育方面的合作。美国总统首次称日本为美国的“平等伙伴”。

佐藤荣作出任日本首相后,积极着手解决战后日美关系中最为棘手的外交问题——小笠原、冲绳问题。他先后四次访美,与约翰逊和尼克松两任美国总统谈判。60年代末,美国出现衰退,经济再次出现严重滑坡;深陷越南战争泥沼难以自拔,国内反战情绪愈演愈烈;第三世界纷纷崛起;美国的全球战略日益暴露出战线过长、后方太远、兵力分散的弱点。美国不得不调整其全球战略,收缩战线,美国需要日本在亚洲的密切合作。与此同时,美国总统尼克松正视“日本在经济上是一个超级大国”,“今天出现了一个新日本”,[11]认为“到60年代中期,日本人开始强烈地感到我们继续管理冲绳不符合日本的国家尊严和主权。如果我们不加响应,就有在我们关系中引起危机的危险。”[12]于是,1969年11月,佐藤首相和尼克松总统就无限期延长新《日美安保条约》和美国把冲绳岛行 *** 归还日本达成协议,并决定新《日美安保条约》及其有关规定原封不动地适用于归还后的冲绳。1971年6月正式签署相关文件,1972年5月5日美国正式向日本移交冲绳岛的行 *** 。日本终于结束了在美国“半占领”下的“战后”时期。

60年代是日本经济的高速增长期,60年代末,日本已成为资本主义世界第二号“经济大国”。从1965年开始,日本对美国的入超逐年扩大,两国间不断发生贸易摩擦,“纺织战”、“钢铁战”等等此起彼伏。虽经双方多次努力仍无法改变这种局面。经济地位必然要求与其相称的政治地位。1983年,日本首相中曾根康宏明确提出政治大国的设想,而实现政治大国的基础是日美关系。日本 *** 强调“日美合作是日本外交的基础”,美国 *** 强调美日合作是美国太平洋政策的“基石”。1981年5月,日美联合声明首次肯定日美“同盟”。1983年1月中曾根提出“日美是命运的共同体”,表示日本“对维护日美同盟的认识,超出了仅仅改善两国关系的范围,而且要在经济、政治、外交等更为广阔的领域与美国进行更大的合作。”

纵观60—80年代,美国的全球战略曾有较大调整,日本的自主性不断增强,但日美关系并未发生重大变化,其间的调整与摩擦都属于安保体制内的演变过程。日美两国出于各自的战略发展需要,从从属伙伴演变为相互依存的同盟。1988年1月竹下登首相访美时表示两国应结成“全球 *** 关系”,1989年8月海部俊树首相与布什总统一致宣称要加强日美“全球 *** 关系”,共同处理国际事务。

四、冷战后的日美关系

苏联解体、东欧巨变,导致第二次世界大战后形成的国际政治格局发生根本性变化。美国为了实现其“一家独霸”的野心;日本为了实现其政治大国和军事强国的梦想,对安保体制进行了一系列调整。

美国在太平洋地区强化以美日同盟为核心的联盟体系。1996年4月克林顿总统访日,与桥本首相共同发表《日美安全保障联合宣言》,提出对日美同盟进行“再定义”。1997年9月日美签署《日美防卫合作指针》,确定了美日进行防卫合作的基本形式和内容。1999年4月和5月日本国会先后通过新指针的三个相关法案,即《周边事态法》、《自卫队法修正案》、和《日美相互提供物资和劳务协定修正案》。通过这一系列外交活动完成了对冷战后日美关系的调整。小布什上台后更加重视同日本的同盟关系,主张提高日本的国际地位,进一步发挥日本的作用,加强美日同盟,把日本作为亚洲和平、稳定、安全和繁荣的重要基石“。

冷战后的日美关系,在基本框架上仍没有脱离安保体制,但在内容和层次上对旧体制进行了调整:(1)安保体制作用的地理范围扩大,突破日本本土的界限正式扩展到整个亚太地区,用“周边地区”这种模糊概念划定了美日安全合作的广阔范围。(2)加大了军事合作的深度和广度。日美加强在军事技术领域的联合开发和在对后勤保障的相互支援。原来由美国保卫日本、日本借基地给美国的单项防卫体制逐渐向美日双向军事合作体制转变。(3)安保体制直接与联合国维和行动以及国际救援行动相联系。美国希望日本在联合国的维和和救援行动中承担更多的义务,推动了日本争取政治大国和军事强国的活动。美日联盟呈现加强趋势。

两次海湾战争和阿富汗战争及9.11事件,使美国 *** 争霸世界的心理达到狂乱的程度。美国要用北约控制欧洲,用竭力构筑的以日本为中心的亚太地区联盟控制整个亚洲。日本 *** 则急切地利用美国的全球战略达到政治大国和军事大国的目的。来自参考消息的报道称美国 *** 将在2004年总统大选前汇总一份美军全球规模的整编方案,“削减驻韩和驻 *** 军兵力,同时将驻日美军作为推进亚太地区战略的据点,强化其司令部机能”。届时日本将由冷战时的“共产主义防波堤”变成美军“推进世界战略的据点”。[13]日美正计划走向“世界性同盟”。

注释:

[1]何春超主编《国际关系史(1945——1980)》法律出版社,1986年12月第二版,P.37-38.

[2]赵建民 刘予苇主编《日本通史》复旦大学出版社,1989年8月第一版,P.322.

[3]信夫请三郎《日本外交史》下册,商务印书馆,1980年版,P.731.

[4]魏楚雄《战后美国对日政策的演变》载《世界历史》1987年第5期,P.18.

[5]郑毅《铁腕首相吉田茂》世界知识出版社,2001年1月第1版,P.118.

[6]同⑤P.150.

[7]同⑤P.154.

[8]赫赤《日本政治概况》中国社会科学出版社,1984年8月第1版,P.365-367.

[9]同⑧P.379-380.

[10]转引自 张健《从“安保条约”的修改看日美关系的演变》载《日本研究》1996年第2期P.44.

[11][12]永野信利《日本外务省的研究》上海译文出版社,1979年版,P.302.

[13]《美军推进亚太地区战略 日美走向“世界性同盟”》载“参考消息”2004年8月9日.

参考书目:

1.何春超主编《国际关系史(1945——1980)》法律出版社,1986年12月第二版.

2.赵建民 刘予苇主编《日本通史》复旦大学出版社,1989年8月第一版.

3.信夫请三郎《日本外交史》下册,商务印书馆,1980年版.

4郑毅《铁腕首相吉田茂》世界知识出版社.

5.赫赤《日本政治概况》中国社会科学出版社,1984年8月第1版.

6.永野信利《日本外务省的研究》上海译文出版社,1979年版.

7.刘德斌主编《国际关系史》高等教育出版社,2003年3月第1版.

8.张蕴岭主编《伙伴还是对手》社会科学文献出版社,2001年1月第1版.

日本和韩国建交时的联合声明

韩美于1949年1月建交。朝鲜战争后,1953年10月韩美签署相互防御条约,确立军事同盟关系。目前美国在韩有3.4万驻军,掌握韩军战时指挥权,对韩负有安全防卫义务。

还有一个很长的内容:

一、朝鲜半岛冷战体系的一块基石:《停战协定》

在整个世界都进入到后冷战时代的今天,朝鲜半岛上的冷战阴影挥之不去。1953年朝 鲜战争结束时交战双方签署的《停战协定》是半岛冷战体系中的一块基石,它维系着半 岛不战不和的军事对峙局面。虽然协定至今有效,但是依据协定设立的半岛军事对峙监 督管理机制早已处于非运转状态。这一局面造成朝鲜半岛停战结构的动摇。

1953年7月27日,朝鲜战争交战双方——以美国为首的联合国军为一方和以朝鲜人民军 和中国人民志愿军为另一方,在“三八线”小村板门店签署《停战协定》。协定的目的 是要结束给双方都带来巨大痛苦和人员伤亡的战争,并保证在最终实现朝鲜半岛问题和 平解决之前,完全停止敌对行为和一切武装行动。

由于《停战协定》维持的是一种不战不和的军事对峙关系,为了实现真正的和平,交 战双方建议:在《停战协定》缔结后的三个月内,双方各自派出代表举行高级别的政治 会议,商议外国军队撤军问题和半岛问题的和平解决。虽然这一建议作为第四条款被写 入《停战协定》之中,但在当时美苏冷战的国际大背景下,并未能够和平解决朝鲜半岛 问题。事实上,《停战协定》的签署反而使半岛冷战体系进一步稳固,协定本身成为半 岛冷战体系中的一块基石。

首先,《停战协定》是一个国际性协定,这使朝鲜问题较之战争爆发之前更加国际化 、复杂化。如果要改变《停战协定》所规定的军事对立局面,必然涉及协定各签署国。 在《停战协定》上的签字双方,实际上代表的是美国及其领导下的西方资本主义世界和 朝、中、苏为主的社会主义阵营。在此背景下,朝鲜问题的解决与国际大国关系息息相 关。

其次,《停战协定》有关国家围绕朝鲜半岛构筑起两个对立的军事同盟集团。一方是 美日韩南方三角同盟,另一方是苏中朝北方三角同盟。美国是南方三角同盟的核心,美 日同盟和美韩同盟是其中的两个轴。在朝鲜战争初始,美国就着力构筑在东亚地区的同 盟国。在朝鲜战争期间美、日签署的《旧金山对日和约》和《日美安全条约》,使美国 拥有了在日本长期驻军的权利,并使日本成为美国进行朝鲜战争的远东基地。《停战协 定》签署后,美国进一步与日本签署了《日美共同防御援助协定》,最终确立日本作为 美国在远东地区同盟国家的地位。美国与韩国缔结的《韩美相互防御条约》,使得美国 陆、海、空军将驻守韩国及其附近。这样,以韩国为前线的南方军事三角同盟确立。另 一方面,朝鲜也于1961年与苏联和中国分别签署了《朝苏友好合作与相互援助条约》以 及《朝中友好合作互助条约》。这两个同盟条约明确规定,如果朝鲜受到威胁,苏联、 中国将竭尽全力予以援助,这就是北方三角同盟。

《停战协定》以及随后出现的一系列双边军事同盟条约,使国际力量介入半岛安全事 务制度化。由此,一个稳固的朝鲜半岛冷战体系确立起来。其中,《停战协定》是维持 双方军事对峙的国际准则,是长期以来朝鲜半岛冷战体系中的一块基石。

但是进入90年代以后,受全球范围冷战结束和东北亚国际力量结构变化的巨大影响, 以《停战协定》为基石的半岛停战结构正在发生动摇。根据停战协定设立的停战监督管 理机制,即军事停战委员会和中立国监督委员会,因其中朝鲜及与朝鲜相关方面代表团 的撤回,基本处于停止运转的状态。其后果是朝鲜半岛上的对峙双方缺乏交流与协商机 制,致使半岛停战结构处于危险状态之中。

二、冷战后朝鲜国家安全的关键:美国

东欧突变和苏联解体宣告了社会主义阵营的瓦解和全球冷战格局的结束。朝鲜半岛冷 战体系在此巨大冲击下严重失衡,但是继续残留着。对于朝鲜来说,失衡的半岛冷战体 系继续存在造成其国家安全处境急剧恶化。

20世纪80年代末,韩国 *** 迫切希望拉近与中苏两国的距离,力求在半岛南北对抗中 掌握主动。同时,韩国企业的资金、技术对于正走上改革开放道路的苏联和中国来说无 疑具有很大的吸引力,苏、中也希望改善对韩关系。这样,在经历了几十年的对抗后, 两对国家相继建交。

苏联解体后,俄罗斯继承了苏联的外交关系。1992年,俄罗斯总统叶利钦访问汉城, 与韩国签署了《韩俄基本关系条约》。

与此同时,中韩关系也在快速发展。1991年开始,双方举行外交部长级会谈,并终于 在1992年8月发表建交共同声明。声明提到,两国将根据联合国 *** 原则,以及相互尊 重主权与领土的完整、互不侵犯、互不干涉内政、平等互惠、和平共存的原则,发展长 久的睦邻友好合作关系。(注:《朝鲜日报》,1992年8月25日。)

苏中两国的改革开放以及与韩国的最终建交无疑极大影响了朝鲜。在朝鲜看来,针对 南方的朝苏、朝中友好互助同盟条约名存实亡,苏中朝北方三角同盟濒临解体。朝鲜与 俄罗斯和中国的关系由此变得极其冷淡,双边高层交流几近断绝。而且,奉行市场经济 的苏中两国还改变了传统的对朝经济交流模式。从1992年起,俄罗斯对朝鲜的原油供给 采取国际价格和通货结算;中国也从1993年开始要求朝鲜依据通货进行贸易。朝鲜外贸 体系由此陷于崩溃状态,能源和粮食紧缺。90年代,朝鲜出现前所未有的连续10年经济 负增长,其安全危机因经济危机而加剧。

尤为不利的是,美日韩南方三角同盟并未对上述变化作出相应调整。相反,美国从其 冷战后东亚乃至全球安全战略出发,加强与日韩的军事合作,维持在日韩的大规模军事 存在。并且,美国为提升与日本的安全合作关系,1997年美、日又推出新《美日安全合 作指针》。新指针扩大美日安全合作范围,将包括朝鲜半岛在内的日本周边地区事务也 纳入双方军事合作范围。与此同时,美国继续重视与韩国的关系,将美韩安全合作视为 “韩半岛和东北亚稳定的中心”。(注:U.S.Department of Defense,United StatesSecurity Strategy for the East Asia-Pacific Region,1995,“Engagement:Modernizing and Strengthening Our Alliances and Friendships”.)这样,东北亚 的局势虽然因为全球冷战的结束而大大缓和,但是美国继续保持了在东亚地区的10万驻 军。其中,驻韩美军约3.7万,驻日美军约5.6万。

在美日韩三方同盟中,美国是领导和核心。日韩两国国防高度依赖美国。在对朝问题 上,美国明确将朝鲜作为本国重要的防务内容。克林顿 *** 提出同时打赢两场地区战争 的构想,其中之一就是针对朝鲜半岛。

首先,驻韩美军是一线作战部队,他们被部署在朝韩交界的“三八线”南侧。美国认 为,“美军需要部署在第一线以使朝鲜清楚认识到美国将自动和立刻卷入任何冲突”( 注: U.S.Department of Defense,United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region,1995,“Sustaining Deterrence in Korea”.),这样有利于美 国有效控制半岛形势。

其次,韩国军队受美军统帅。驻韩美军与韩国军队共组韩美联合军司令部,驻韩美军 司令兼任韩美联合军司令,这使韩国军队长期受美军统帅。虽然韩国军队于1994年末恢 复了和平时期的军队控制权,但其作战指挥权始终归属美军。

再者,朝鲜半岛一旦发生战争,美军将动员规模庞大的增援部队。驻韩美军和韩国军 队用于维持第一阶段的战事。紧接着,将有大量的驻日美军、美国太平洋舰队乃至本土 美军迅速增援半岛。增援部队包括陆、海、空军以及海军陆战队,总数可达6.9万。(注 :Ministry of National Defense,the Republic of Korea,Defense White Paper 200 0(English Version),p81.)

综上所述,随着冷战的终结,朝鲜半岛冷战体系发生严重失衡。北方三角同盟濒临解 体,美日韩三角同盟却继续存在并且加强,朝鲜国家安全受到极度威胁。曾经是国际冷 战前沿的朝鲜开始独立承担来自美日韩三方军事同盟的压力。由于美国是美日韩三方中 的领导和核心,美国成为影响朝鲜国家安全中的关键因素。

三、朝鲜关于缔结朝美“和平协定”的构想

在上述朝鲜安全处境不断恶化的过程中,朝鲜提出了缔结朝美和平协定构想。最初是 在1974年,当时,中苏分裂,中美、中日关系缓和,受其影响,1974年3月20日,朝鲜 最高人民会议第5届3次会议提议缔结对美和平协定。

但是,朝鲜将缔结朝美和平协定提升为国家安全战略的核心目标则是在80年代中期以 后。当时,中国已分别与日美恢复邦交,苏中两国都在推行改革开放。随着1988年汉城 奥运会临近举行,苏中两国都有意派团参加,韩国与苏中之间的关系呈现逐步和解的迹 象。在此背景下,朝鲜迫切需要改善对美日关系,以平衡半岛冷战体系结构 *** 现的失 衡。鉴于美国在美日韩三国中的绝对领导地位,朝鲜将安全战略的核心置于对美关系上 。朝鲜希望缔结朝美和平协定,废除《停战协定》,突破残存的半岛冷战体系对国家安 全的束缚,在体制安全的前提下融入国际社会,并取得与韩国对等的国际地位,尽可能 主导半岛形势。

1984年1月10日,朝鲜召开中央人民委员会和最高人民会议常设会议的联合会议,会上 提议举行朝美韩“三方会谈”,协商和平协定等问题。提议主要内容是:(1)为了缓和 紧张、结束朝鲜半岛的军事对峙状态,举行朝美韩三方会谈;(2)在三方会谈中,朝美 之间讨论缔结和平协定问题,朝韩之间讨论北南互不侵犯宣言问题。和平协定中将包含 驻韩美军的撤离问题,互不侵犯宣言中将包含朝韩互不使用武力和两国的裁军问题;(3 )在分别缔结朝美和平协定和达成朝韩互不侵犯宣言之后,朝韩之间召开政治协商会议 ,讨论创设“高丽联邦国家”。(注:《南北对话》,第34号,韩国汉城:国土统一院 南北对话事务局,1984年4月30日发行,第39页。)

这一建议与以往的不同在于提议同时举行朝美、朝韩会谈。其中,朝鲜一贯坚持的由 朝美双方缔结和平协定的立场并未改变。朝鲜的变通在于朝美和朝韩关系同步改善,即 在改善对美关系并解决驻韩美军问题的同时,协商北南和解问题。实际上,朝鲜的对美 和平协定建议长期遭到美国冷遇,且为韩国坚决反对。韩国指责朝鲜试图将其排除在外 的朝美协商,是意在迫使美军撤离,最终颠覆、赤化韩国。韩国要求南北直接对话缔结 和平协定。朝鲜的三方会谈建议是对美韩反对作出的妥协,希望由此将美韩吸引到谈判 桌前。

朝鲜的三方会谈建议仍然遭到坚决反对。美国对此作出反应,指出半岛问题须在南北 之间解决,在为半岛统一而召开的国际会议中必须包括《停战协定》签署国中国。(注 :《南北对话》,第34号,韩国汉城:国土统一院南北对话事务局,1984年4月30日发 行,第59页。)韩国国土统一院长官孙在植也对朝鲜三方会谈提议作出反应。他发表对 北声明,表示半岛统一是韩民族内部问题,通过南北对话恢复相互的理解和信任非常重 要,要求南北直接对话。(注:“孙在植国土统一院长官对北声明”,《南北对话》, 第34号,韩国汉城:国土统一院南北对话事务局,1984年4月30日发行,第32—34页。) 对于美韩的立场,朝鲜政务院总理在1984年3月7日给韩国国务总理的书信中加以反驳: “美军强占着南朝鲜,美军司令官拥有对南朝鲜国防军的统帅权,在此条件下,南 朝鲜 当局和我们无法解决诸如停战协定转化为和平协定、美军撤离、达成互不侵犯宣言 、裁 军、消除军事对峙等等问题;贵方提议的半岛问题相关国家参加会谈并不妥当,因 为除 美国外并无其它国家对半岛问题负有直接责任”。(注:《南北对话》,第34号, 韩国 汉城:国土统一院南北对话事务局,1984年4月30日发行,第66,67页。)

尽管始终遭到反对,朝鲜关于缔结朝美和平协定的立场此后没有发生根本变化。相反 ,随半岛冷战体系的日益失衡以及国内经济的不断恶化,朝鲜对于缔结对美和平协定的 要求更趋强烈和急切。朝鲜关于缔结朝美协定的提议不断,包括1994年4月28日的《朝 鲜外交部关于确立朝鲜半岛和平保障体系的声明》、1996年2月22日的《朝鲜外交部发 言人关于缔结朝美暂定协定的谈话》、2000年再度发表的《朝鲜外交部关于建立朝鲜半 岛和平保障体系的声明》以及2002年的缔结朝美互不侵犯条约等等提议。其中,1996年 朝鲜建议的“暂定协定”,是朝鲜认识到缔结和平协定将涉及美朝关系正常化、半岛和 平机制建立等一揽子复杂问题,难度颇高,故欲先易后难,以“暂定协定”将美国拉到 谈判桌前。当时朝鲜表示:“我们始终一贯地坚持,如果要在朝鲜半岛建立起全面、广 泛而长久的和平机制,必须在朝美之间缔结和平协定”;“但是,考虑到美国的对朝鲜 政策以及目前朝美关系的水准,为了防止朝鲜半岛再起武装冲突和战争,需要尽快准备 ,即使在最小程度上建立制度性设置也行”。2002年,朝鲜提出缔结朝美互不侵犯协定 ,这也是朝鲜要求缔结对美和平协定的另一种表现。由于朝鲜核危机不断升级而美国态 度日趋强硬,10月25日,朝鲜提议朝美缔结互不侵犯协定。

四、朝鲜力求缔结对美“和平协定”

为缔结对美和平协定,结束《停战协定》所维持的军事对立,摆脱半岛冷战体系失衡 状态下的朝鲜安全困境,朝鲜一手采取日趋灵活的积极姿态谋求朝美协商,另一手则利 用大规模杀伤性武器向美国施加压力。

在外交领域,朝鲜展现积极姿态,以期改善对美关系。1974年朝鲜正式提议缔结朝美 协定时,其构想是首先改善对美关系,在取得较为有利的国际地位后再拓展外交空间。 但在实际的操作中,由于美国始终不与朝鲜对话,朝鲜转而展开与韩日协商,以期侧面 推动朝美会谈。1984年提议三方会谈后,朝鲜主动向韩国灾民伸出援助之手,以后,朝 韩对话逐步提升。在经过多次总理级会晤后,两国于1991年末达成《南北和解、互不侵 犯与交流合作协议书》。协议书宣布南北和解,互不为敌,共同努力将停战状态转变为 和平状态,组建南北共同军事委员会,开通军事热线 *** 等等。朝鲜意在促进朝美协商 同步展开。朝鲜外交部发言人曾这样表示:“朝鲜北南已经缔结了互不侵犯协议书,连 北南共同军事机构都已产生,朝美间如果能够缔结一个暂定协定,将意味着和平新时期 的到来。”事实上,由于朝美一直未能就和平协定进行协商,南北协议书签署后,朝鲜 回复消极态度,协议书条款未得履行。

20世纪90年代末,上述情景再度上演,朝鲜比上一次更加大胆。朝鲜不仅快速热切与 中、俄关系,与欧盟、亚太诸多国家建交,而且在2000年与韩国举行首脑峰会。这一次 ,朝鲜多方位外交攻势一定程度上推动了朝美会谈,但还是未能突破敌对关系。

在经济领域,朝鲜表现出趋向改革的积极意向,尤其在朝鲜与诸多国家建交并与韩国 实现首脑峰会后,这一意向更趋明显。2002年,朝鲜在经济领域连续采取重大举措,引 起国际社会普遍关注。7月,朝鲜废除了实施已久的粮食配给制,提高工资;9月,朝鲜 将与中国交界的新义州指定为特区,颁布类似香港基本法的《朝鲜新义州特别行政区基 本法》;朝鲜与韩国同时启动两国东海沿岸铁路和公路以及新义州至汉城之间的铁路和 公路连接工程;10月,为搞活金刚山旅游,朝鲜颁布允许国际社会自由投资开发金刚山 旅游区的政令。这些具有开放和改革意向的重要举措,意在改变朝鲜的国际形象,朝鲜 希望由此促进对美和解。

另外,对于美国所关注的驻韩美军问题,朝鲜暗示将作让步。一直以来,朝鲜主张驻 韩美军撤离半岛,北南自主解决统一问题。这意味着朝鲜所追求的对美和平协定将导致 驻韩美军撤离半岛。随着冷战后美国明确表示将维持在东亚地区的10万驻军,朝鲜调整 其立场。1996年,朝鲜“亚洲太平洋委员会”副会长表示,如果美军能够改变与韩国的 关系,在半岛扮演和平维持军的角色,朝鲜可以考虑美军的继续存在。(注:Kim Keun- sik,“Changes in Pyongyang's Attitudes Regarding Peace on the KoreanPeninsula after

South-North Summit,”Vantage Point,Vol.25 No.3,March 2002,p. 46.)这一信息在2000年6月朝韩首脑会晤时通过韩国总统金大中再次传递给世界。

在积极姿态的另一方面,是朝鲜加速研制核、导弹等大规模杀伤性武器,以此为手段 向美国施加压力。朝鲜一直将和平协定问题与美国密切关注的核、导弹等问题挂钩,指 出惟有缔结朝美和平协定才能消除紧张。1994年4月28日,朝鲜中央通讯发表外交部声 明:“现在停战协定已不能保障半岛和平”,“一定得将停战协定转化为和平协定,成 立代替现在的停战机构的和平保障体系”;“朝鲜民主主义人民共和国 *** 向美利坚合 众国提议,就能够遏止朝鲜半岛上的武力增强和制止战争再发,能够实际而可靠地承担 起巩固和平与安定的新的和平保障体系举行协商”。2000年,《朝鲜外交部关于建立朝 鲜半岛和平保障体系的声明》表示,朝鲜半岛出现核武器等一系列复杂而尖锐的问题是 因为继续存在着停战体系。朝鲜《劳动新闻》评论,朝鲜核问题是由于美国推行对朝敌 视政策而产生的,朝鲜核问题必须从根本上加以解决,必须举行朝美磋商。(注:《劳 动新闻》,2002年11月9日。)

同时,朝鲜不断向国际社会表明,《停战协定》及其运作机构已不再有效。朝鲜认为 ,在美国肆无忌惮地往南朝鲜运输武器装备之下,停战协议根本发挥不了它的制约功能 ,停战协议早已失效。朝鲜外交部1994年这样表示:“由于美国不正当的处理方式,现 朝鲜停战协定已不能保障半岛和平,军事停战委员会事实上已成为没有主人的有名无实 的机构”;“朝鲜停战协定和停战机构,在安定朝鲜半岛形势、遏止武力增长上,不能 提供任何的支持”;“我们不能再期待这样的协定和机构”。该年5月,朝鲜撤回驻军 事停战委员会的朝鲜代表团。同时,另组“人民军驻板门店代表团”取代其功能。同年 8月,朝鲜派特使访问中国,向中方指出朝鲜半岛需要建立新的安全保障机制,要求中 国撤回代表团。中国考虑到朝鲜方面的要求,并根据朝方已召回军事停战委员会的朝方 代表和军事停战委员会已停止运转的现实状况,接受朝方建议,于12月召回了驻板门店 的军事停战委员会中方代表团。(注:陈峰君,王传剑著:《亚太大国与朝鲜半岛》, 北京大学出版社2002年版,第335页。)另外,从1993年至1995年,朝鲜分别让捷克和波 兰成员离开中立国监督委员会。(注:Lee Jong-sun,“The Political Implicationsof North Korea's Demand for a Peace Treaty with the U.S.,”Vantage Point,Vol .23 No.9,September 2000,p.44;Kim Keun-sik,“Changes in Pyongyang's Attitudes Regarding Peace on the Korean Peninsua after South-North Summit,”VantagePoint,Vol.25 No.3,March 2002,p.49.)这样,监督执行《停战协定》的军事停战委员 会和中立国监督委员会都处于不完整状态。

五、结论

在冷战走向终结的过程中,以《停战协定》为基石的半岛冷战体系严重失衡,朝鲜安 全处境急剧恶化。朝鲜必须独自承担来自美日韩三方军事同盟的压力。由于美国是美日 韩三方同盟中的核心,朝鲜力图缔结朝美和平协定。朝鲜希望和平协定的缔结能够结束 《停战协定》所维护的军事对立,彻底摆脱残存的半岛冷战体系,在体制安全的前提下 融入国际社会,并取得与韩国对等的地位,尽可能主导半岛形势。由于遭到美韩两国的 反对,朝鲜运用各种可能的方式加以推进。朝鲜既采取积极姿态推动朝美协商,又利用 核、导弹等大规模杀伤性武器向美国施加压力。但是,朝美和平协定鲜有进展,相反, 核、导弹等大规模杀伤性武器使半岛危机不断。目前,小布什 *** 推行强硬的对朝鲜政 策,将朝鲜列为邪恶轴心国家和先发制人的核打击对象。朝鲜半岛形势更加严峻。

简述美国的亚太地区对中国周边安全产生的影响

周边安全环境历来是中国国家战略环境的基本组成部分和重要构成因素,建设“和谐世界”的中国外交和国际战略蓝图,必然要以和谐周边为基础。本文认为,2006年中国的周边安全环境总体态势是北部稳定、南部缓和、西部改善、东部紧张,具体呈现出以下特点:第一,安全南移这一近三十年来中国周边安全态势变化的最大趋势仍在继续,当前中国周边的安全威胁主要集中于亚洲东部及南部地区。第二,作为影响中国周边安全的重要因素,美国的对华政策在“遏制”和“ 接触”两方面都在加强,美国在亚洲的军事调整和不断强化的美日同盟对当前中国周边安全构成长远威胁。第三,中日政治关系的持续冷淡曾经是影响中国周边安全的一大症结,随着新一届日本首相的访华,中日关系开始呈现出改善的趋势。第四,朝核问题风云突变,演变成为一场危机,对中国周边安全构成重大考验。第五,中亚地区成为中国周边安全中的一块亮点。通过上海合作组织这一平台,中国与中亚不仅保持了和平稳定的边境,而且以能源为核心的经济合作逐步走向深入。第六,除了传统的军事安全之外,非传统安全因素的重要性日益凸现,特别是能源合作问题将成为影响今后中国与周边国家关系的重要变量。全球化和地区合作的发展,使得中国与周边国家的相互依存度空前提高,中国的发展对世界的影响首先体现在周边国家和地区,越来越多的周边国家把自身的发展同中国联系在一起。周边国家无疑比其他国家更加关注和深刻地体会到中国发展给当今世界带来的影响,同时,这种关注也难免包含了一些潜在的疑惑。因此,中国要建设和谐世界,首先就要从周边做起,和谐周边是和谐世界的基石。周边国家的发展态势、相互关系以及对华政策动向即周边安全环境,是我们必须高度关注的事项。

所谓周边通常指与中国领土、领海相连接的国家和地区,鉴于中国对外关系的发展,近年来,部分学者在原有周边概念的基础上提出“大周边”概念,指上述四个区域向外延伸,向西可延伸至里海与波斯湾一线,即与中亚和南亚地域相连的中东地区,向东延伸至与东南亚海域相连的南太平洋地区。周边安全环境是国家战略环境的基本组成部分和重要构成因素。随着中国自身的发展以及国际和地区形势的变化,周边外交在我国外交全局中的重要性更加突出。本文所指的安全,既包括传统意义上的军事、政治安全,也包括近年来日益引起重视的反恐、经济、能源等“非传统安全”内涵。中国周边安全环境体现为两个层面、多重内容。两个层面,一是中国与周边国家的双边关系层面、二是区域合作的多边层面。不论是双边还是多边关系,又都包含着政治、军事、经济、能源、环境的多重内容。

本文对周边环境的分析以近一年来的情况为主,兼及以往。内容分为五部分:第一,美国的亚太战略对中国周边安全的影响;第二,中日关系及东北亚安全;第三,上海合作组织与俄罗斯、中亚安全;第四,印度与南亚;第五,结论。鉴于本书其他章节的内容安排,各部分不是面面俱到,而是有所侧重。

作为世界上惟一的超级大国,美国的对华战略极大地影响着中国的周边安全,这种重要性还在于它不仅仅是影响中国周边安全的一个单一变量,而且还是影响其他变量的全局性变量。因此认识美国当前布什 *** 的亚太安全战略及其影响,是我们准确判断形势、把握我国周边安全环境变化的重要前提。

“ 遏制+接触”构成美国近二十年来对华政策的基调,2005年年底以来,美国对华政策的这两手都在加强。值得注意的有三个动向:一是美国国务院围绕“中国是否是负责任大国”的议论,二是2006年2月美国国防部的《四年防务评估报告》和3月白宫的《国家安全报告》两份报告透露的“中国威胁”论调,三是美国继续调整和加强其在亚太的军事部署,同时美日同盟也在悄然经历新一轮强化。

(一)美国的亚太战略:如何应对一个新兴的大国

美国全球战略的核心就是维持它对全球事务的主导权(我们称之为“霸权”)。在这一总体战略的指导之下,它的亚太战略就是防止在亚太出现挑战其主导权、导致现有秩序和格局逆转的所谓“修正主义”国家。与通常的理解不同,在国际关系理论中,所谓“修正主义”特指不满现状、致力于改变现存秩序的倾向。美国对华战略都是围绕维护霸权这一核心展开的。美国最担心中国的发展可能将会导致美国在亚洲影响力的降低,甚至将美国最终“挤出”亚洲。

1.中国是修正主义国家吗?

在美国,现实主义的“政治力学”思维十分盛行。按照这种思维,新兴国家的崛起往往会打破原有的格局平衡,这就是所谓“修正主义”国家,而美国的目标则是防止这种修正主义国家对现有平衡的破坏,即所谓“维持现状”。霸权国的目标是维持现存秩序,修正主义国家也就是霸权的挑战者。因此确定对华战略的前提,就是确定中国究竟是一个维持现状的国家,还是所谓修正主义国家,对此美国内部一直存在争论。占主导的意见认为,中国是具有一定的修正主义倾向,但是目标有限、而且不愿冒太大风险的国家。基于这种判断,美国对中国采取的是“接触+遏制”战略。“接触”指的是使用非强制性手段来改善一个崛起的主要大国行为中不满足现状的因素,基本目标是使这个成长中的大国所使用的方式与和平改变地区及全球秩序相一致。“遏制”就是运用实力政策威慑崛起国家改变现状的企图。这种政策又被称之为“两面下注”(hedge)。

2.从“利益相关者”到“负责任的利益相关者”

2005年9月21日,美国副国务卿罗伯特·佐利克(Robert B.Zoellick)在美中关系全国委员会(National Committe on U.S. China Relations) 就美中关系问题发表题为《中国往何处去?——从正式成员到承担责任》(Whither China: From Membership to Responsibility?)的重要演讲。提出了所谓“利益相关者”(Stakeholder)的概念,成为解读美国对华政策新动向的词汇。

对于佐利克的讲话中国学者有多种解读,笔者的理解就是他不过体现了美国 *** 中部分务实人士对中国的基本判断:第一,与前苏联不同,中国是现存国际体系的受益者,因此中国没有推翻现存国际体系的理由和动机。第二,既然是现存国际体系的受益者,中国就不能只受益不负责,中国应该承担相应的国际责任。佐利克讲话明确认定,“今天的中国绝非1940年代后期的苏联可比”。他列举了四点判断依据:①中国不寻求传播激进的反美意识;②中国虽未实行民主,但也不认为自己正与全球民主制度进行最后搏斗;③中国虽然有时采行重商主义,但并不认为自己正与资本主义进行殊死斗争;④最重要的是,中国不认为自己的前途取决于废除现行国际体系的基本秩序。“事实上情况正相反:中国领导人认定,他们的成功依赖于与当代世界联网。”因此他断定,“从中国的角度来看,今后与我们共同发展国际体系,更有利于维护中国的国家利益”。中国是现存国际经济体系的受益者,这一点上,中美可以说达成了某种共识,但是如果涉及国际体系的政治层面,问题就比较复杂。美国学者沈大伟列举了三十五个亚洲重大议题,其中两国利益重合的有16个,冲突的有8个,另外11个不确定。

2006年 7月,接替佐利克出任主管亚太事务的助理国务卿柯庆生(Thomas J.Christensen)继续了“利益相关者”这一话题。8月3日,他在美国国会美中经济与安全审议委员会举行的听证会上,作了题为《中国在世界扮演的角色:中国是负责任的利益相关者吗?》(China`s Role in the World: Is China a Responsible Stakeholder?)的主题演讲。其核心是分析美国对中国国际角色的 *** 以及阐述美国对华政策的主旨。柯庆生在演讲中接过了佐利克的“利益相关者”的话题,并将之推进了一步,提出所谓“负责任的利益相关者”(Responsible Stakeholder)这一评判中国国际角色的新概念。柯庆生在演讲中一方面继续肯定中国与现存国家体系的关系,认为美国不必将中国的崛起视作威胁,美国的策略是继续强化与中国进行具有建设性的互动。他列举了中美两国在联合国、世界贸易组织、东盟地区论坛、亚太经合组织等国际组织的积极合作,肯定中国在六方会谈、伊朗核问题、阿富汗重建、防治全球性疾病、完善能源供给保障等方面所发挥的重大作用。同时柯庆生也老调重弹美国对 *** 与宗教自由、贸易不平衡、防 *** 、军事透明度以及支持所谓“问题国家”等问题的批评。基于对中国种种“表现”的判断,他明确提出中国目前还不是“负责任的相关者”,但是中国有可能成为、而且美国鼓励中国成为一个“负责任的利益相关者”。也就是说,依照美国对中国的判断,虽然中国“品行”有些不端,但仍属于“可教育好的对象”,故而要与所谓“流氓国家” 区分对待。

中国 *** 在20世纪90年代就明确提出中国是“负责任的大国”,但是对于“负责任”的内涵和标准,中国与美国存在相当的认识差距。中国所谓“负责”是对世界负责,中国不认为美国在这个问题上具有裁判的资格。此外,责任是相互的而非单向的,要求中国对美国负责,那么美国也就应该对中国负责。一方面大力对 *** 售,另一方面还指责中方“军事不透明”,这是不能接受的。关于“负责任”内涵的不同认定,折射出在什么是“应该的国际关系”这一问题的认识上,中美两国理念存在的深刻分歧。近三十年来的改革开放历程表明,中国一直在试图改变自己,但是怎么变,中国是按照自己认定的方向在前进,既不会刻意与美国反着来,也不会顺着美国的指挥棒转。美国如果对中国抱有不切实际的“希望”,那最终只能是失望。这种希望与失望的交替,构成中美关系振荡的原因之一。

(二)美国亚太军事布局的调整与美日同盟的强化

自 20世纪90年代冷战结束以来,作为美国全球军事调整的重要部分,美国一直在调整它的亚太军事布局,以更多的战略注意力关注亚太地区,以日美安保体制为核心,巩固和加强双边军事同盟关系。美国全球军事调整的核心任务是要使美军“精、强、快”,目的在于提高现代化、数字化和机动快速反应能力,保持前沿军事存在。美军远程投放能力的增强,打破了美国亚太军事存在的传统地理范畴,突破了传统军事合作关系中单纯依靠基地驻军的形式,使其具备了跨洋、跨地区对相关国家或地区采取军事行动的能力。美国当前军事调整出于三方面考虑:一是反恐的需要;二是为了应对可能发生的地区冲突;三是为了应对正在崛起的国家。

美日同盟作为冷战的产物,不仅没有随着冷战的终结而退出历史舞台,反而一再得到强化,成为美国亚太战略的支柱,近年来,美日同盟更是经历了新一轮强化。 2005年2月,美日两国外长和国防部长在华盛顿举行所谓“2+2”会晤并发表联合声明,不但表示把属于中国内政的台湾问题纳入它们的“共同战略目标”,还提出并研究了共同使用驻日美军基地和日本自卫队基地的问题。日美“2+2”联合声明的目的是,企图使日美两国变成全球规模的军事同盟关系,这不但危害世界和平,而且必将威胁到日本自己的和平与安全。2006年5月1日,日美安全磋商委员会会议(“2+2”会议),就驻日美军重新部署达成一致,发表日美《关于实施驻日美军重新部署的路线图》以及“2+2”会议联合声明。2006年6月底,日本首相小泉纯一郎访问美国,与布什总统会谈并发表《新世纪的日美同盟》的共同文件,把以“共同价值与利益”为基础的日美同盟扩大到“全球规模”,两国合作范围将超过传统的安全领域,标志着日美同盟强化到新的水平。

美国亚太军事部署的调整,特别是美日军事同盟的新一轮强化,对中国及亚太地区的和平和稳定将产生严重负面影响。中方认为,日美同盟是一种双边安排,其作用应控制在双边范围之内,不应有损第三国的安全利益。尤其是鉴于台海局势复杂敏感,美日如果从维护地区和平稳定大局出发,务必在台湾问题上慎重行事,不要向 *** 势力发出错误信息。

(三)接触、遏制两手都在加强

一手拉一手掐,防范加接触是美国对华战略的一贯方针,只不过不同时期,两手的轻重缓急有所不同。一般来说,军方更强调“防”的一面,国务院更强调“接触”的一面。如果说佐利克和柯庆生的讲话更多体现了接触的一面,那么2006年2月美国国防部的《四年防务评估报告》和3月白宫的《国家安全报告》则突出了对中国防范的一面。前者声称“中国军事力量的发展已经达到了改变地区军力平衡的程度”,指责中国所谓的军费开支不透明。2006年6月,在新加坡召开的第四届亚洲安全会议上,中国学者就美日对中国军费不透明的指责,向美国国防部长拉姆斯菲尔德反诘道:美国军费是透明的,可是美国却一再发动战争,可见军费是否透明与战争没有必然联系。拉姆斯菲尔德哑口无言。后者则提出了美国对中国的三个担忧:一是中国增加军费开支的“透明度”;二是中国在全球寻求能源安全的方式和市场开放不够;三是中国支持那些能源丰富的国家而不顾这些国家的 *** 在搞所谓的“暴政”。

从美国近一年来的对华政策态势来看,美国的对华政策并没有什么根本改变,仍然是“两面下注”,只是美国对华的接触与遏制两手都在加强。 *** 不同部门表面上调门有所不同,大致是国防部唱白脸,国务院唱红脸,实际上美国的对华政策正是这样调门不一的各种声音组成的合唱。

美国的亚太战略对中国的周边环境构成挑战。但是看待中美关系要从大局着眼,要充分认识到中美关系的复杂性在当今世界各大国关系中是独一无二的,美国对中国未来的发展方向,对中国将如何使用自己正在壮大起来的力量感到不放心;中国对美国到底有多担心中国,提防、牵制中国究竟会到什么程度也拿不太准。国内有学者将中美关系的这种状况称之为“相互疑虑中的相互依存”。美国一位政治家感叹道,美国从来没有与一位非盟国之间保持如此密切的经济关系。除了密切的经贸关系外,在联合国安理会的合作、反恐、核不 *** 、能源、环境、禽流感问题、反毒品 *** 等一系列全球性问题上,中美之间都有广泛的共同利益。而且中美关系早已超越单纯的 *** 间关系,双方的联系、交往和合作已经渗透到社会生活的各个方面。中美关系的这种广泛基础形成一种内在动力,使得只要中美之间不在至关重要的问题上发生敌对性冲突,中美关系就会自动向前发展。

中美关系在逐步走向成熟,所谓成熟就是相对稳定,而不是指没有矛盾。与此相应,中国人正在以一种平静、务实的心态看待中美关系。2005年就中美关系进行的一次民意调查显示,尽管比例高达56.7%的被访者认为美国确实在遏制中国,同时对中美关系的满意率却也高达70.9%。这表明中国民众,对美国的所谓“ 遏制”已经见怪不怪了,认识到美国的“遏制”阻挡不了中国前进的步伐,对中国前途的心态更加自信。

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